市立函館恵山病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/28 00:31 UTC 版)
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情報 | |
正式名称 | 市立函館恵山病院 |
前身 | 恵山診療所 ↓ 尻岸内村立国保病院 |
標榜診療科 | 内科 外科 小児科 リハビリテーション科[1][2] |
開設者 | 函館市 |
管理者 | 石川聡 |
開設年月日 | 1961年11月(尻岸内村立国保病院) 1953年1月5日(恵山診療所) |
所在地 |
〒041-0525
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位置 | 北緯41度46分31.624秒 東経141度5分52.131秒 / 北緯41.77545111度 東経141.09781417度座標: 北緯41度46分31.624秒 東経141度5分52.131秒 / 北緯41.77545111度 東経141.09781417度 |
外部リンク | 市立函館恵山病院 |
PJ 医療機関 |
市立函館恵山病院(しりつはこだてえさんびょういん)は、北海道函館市に所在する公立病院。
歴史
戦後の食糧難による統制経済下にあった1948年頃、漁獲物の価格は保護されていたが、恵山ではちょうどこの時期にイカが豊漁となり活況を呈していた[3]。
しかし漁民の家庭には病人が多く、生活は楽ではなかった。恵山漁業協同組合の組合長は、組合が経営する診療施設建設を尻岸内村長に提案した。村長は議会の議決を得て、1952年7月から診療所の建設を開始した[4]。
この診療所は1953年1月5日に、内科、外科、産婦人科の構成で開業した。これが恵山診療所(えさんしんりょうじょ)である。恵山診療所は村の東部に位置しており、西部の住民は通院することができず、地元や隣接する戸井村の開業医に通う者もいた。そのため、村は西部の開業医の診療施設を借り上げた上で、1956年2月から「第一診療所」として開業し、恵山診療所は「第二診療所」に改名された。しかし村が2つの診療所を経営するのは経費面でも、施設の近代化を図る面でも問題があると考えられるようになり、2つの診療所を維持し時間はかかっても徐々に近代化していくか、1つの総合病院に統合するかが議論となった[5]。
村議会は結局、遠い地域の患者はマイクロバスで輸送すればよいとして、後者の案を採用し、総合病院を建設して統合することを決定した[6]。
総合病院は1960年12月から「第一診療所」の場所で建設が進められ、翌1961年10月に完成、同年11月から診療開始した。これが尻岸内村立国保病院(しりきしないそんりつこくほびょういん)である[7]。
沿革
- 1961年(昭和36年)11月 - 尻岸内村立国保病院として診療開始。
- 2002年(平成14年)- 現在地に新築移転。
- 2004年(平成16年)- 1市4町村(旧函館市・恵山町・南茅部町・戸井町・椴法華村)の合併により、市立函館恵山病院に名称変更。
診療科
交通アクセス
- バス
- 自家用車
脚注
参考文献
- 尻岸内町々史編さん委員会 編『尻岸内町史』尻岸内町役場、1970年。
関連項目
外部リンク
- 市立函館恵山病院のページへのリンク