左官となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 03:01 UTC 版)
1921年(大正10年)2月15日に甲府刑務所を出所。それを機に上京し、埼玉県深谷市で仲仕(河川の船積み荷物を陸揚げする人足)となった。その後、徴兵検査のために一時帰郷したが、東京市小石川区高田豊川町(現東京都文京区目白台)の左官職人宅に見習いとして住み込み、1年の見習いの後、親方の下を去って左官の雇われ仕事を行うようになった。1925年(大正14年)左官仲間の妹やえ(八重)と結婚し、西巣鴨向原に住居を構えた。しかし、この頃関東大震災後の復興景気も終わりかけており、仕事が減ったうえに、肺尖カタルおよび肋膜炎のため、病床に臥しがちになっていった。
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