川村真樹_(女優)とは? わかりやすく解説

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川村真樹 (女優)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/12 15:23 UTC 版)

川村 真樹(かわむら まき、1948年1月1日[1] - )は、福島県出身の女優歌手。公称身長157センチ。芸映プロ[1]、グループ71に所属していた[2]

来歴・人物

九段女子高等学校を経て1965年宝塚歌劇団入団。51期生。入団時の成績は54人中48位[3]。初舞台公演の演目は花組公演『われら花を愛す/エスカイヤ・ガールス[3]。娘役[3](愛称サトコ)で同期に安奈淳高宮沙千、華かおりらがいたが、1967年8月[3]に退団、上京して映画女優として活動を始める。

映画『ドリフターズですよ! 特訓特訓また特訓』で役者デビューし、東宝映画に端役で出演。そんな中1970年11月、コメディアン、佐々十郎と共に、心中未遂と見誤る睡眠薬過剰服用事故を起こし、一時芸能活動から遠ざかる。翌年、テイチクレコードから歌手デビューし芸能界復帰[4]。その後、成人映画製作を始めた日活に移り、1972年封切りの初主演映画『八月はエロスの匂い』での体当たり演技が話題となり、以降は日活ロマンポルノの常連女優として活躍。同時期には東映でも内藤誠の『ネオンくらげ』や五社英雄の『暴力街』に出演した。

スクリーンの第一線を退いた後、1990年に銀座8丁目にクラブ「マダム真樹」を開店。(現在[いつ?]は7丁目の金田中ビルで営業中)乳癌などの試練を乗り越え、2005年2月、シングル「うかれ銀座の一人言」(作詞作曲・円広志)をリリース、同年7月には博品館劇場でコンサートも開き、健在ぶりを示した。

TBS『爆報! THE フライデー』にも出演し「マダム真樹」は元宝塚女優と飲める店として紹介された。女優の卵らが店に在籍していることでも人気を博している。

出演作品

映画

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b 『出演者名簿』《昭和44年度版》日本著作権協議会、1968年、128頁。 
  2. ^ 『出演者名簿』《昭和49年度版》日本著作権協議会、1973年、128頁。 
  3. ^ a b c d 小林公一(監修)『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて』 人物編、阪急コミュニケーションズ、2014年、70-71頁。ISBN 978-4-484-14601-0 
  4. ^ 福島の映画人列伝 | ふくしま映画100年”. おはようドミンゴ. 2020年3月6日閲覧。

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