川村矯一郎
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川村 矯一郎(かわむら きょういちろう、嘉永5年(1852年) - 明治24年(1890年)1月)は、明治時代の篤志家、自由民権運動家。静岡監獄副典獄(副刑務所長)。政治犯として入獄していた際に金原明善と出会い、後に明善とともに出所者の保護事業に参画し、近代日本における更生保護の発展に寄与した人物として知られる。
注釈
出典
- ^ a b 「立志社員の逮捕」『宿毛市史【近代、現代編-土佐挙兵計画-土佐挙兵計画】』2019年10月5日 閲覧
- ^ a b 静岡県知事官房 編『金原明善と其事業』静岡県知事官房、1913年、99頁。doi:10.11501/950592。NDLJP:950592。
- ^ a b 出獄人保護事業-【浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ】(浜松市史 三 近代編 第二章 近代浜松の基礎 第二節 殖産興業と地域の開発 第三項 金原明善と治山治水 その他の事業 2019年9月29日 閲覧
- ^ a b 企業の社会的責任-日本型 CSR の源流-(日本の企業家活動シリーズ No.51) - 法政大学イノベーション・マネジメント研究センター(PDF)2019年10月5日 閲覧
- ^ 法務省:更生保護の歴史 2019年9月29日 閲覧
- 1 川村矯一郎とは
- 2 川村矯一郎の概要
- 3 関連項目
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