川勝隆忠とは? わかりやすく解説

川勝隆忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 20:15 UTC 版)

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川勝隆忠
時代 江戸時代中期
生誕 元文元年(1736年
死没 不明
寛政10年(1798年)4月25日、隠居)
改名 剃山(隠居後の号)
別名 権吉郎、登之助、権之助(通称)
墓所 東京都港区赤坂の法安寺
官位 布衣(六位)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家重家治家斉
氏族 川勝氏
父母 父:川勝隆盛、母:川勝光隆の娘
養父:川勝隆雄
兄弟 隆忠広豊広峯、女子、
女子
正室:川勝広當の娘
隆源、隆重、忠順、
忠能、某(徳之助)、女子、女子、
女子、女子、女子、女子
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川勝 隆忠(かわかつ たかただ)は、江戸時代中期の旗本。隆尚流川勝家の4代当主。

生涯

元文元年(1736年)、川勝隆盛の長男として江戸に生まれ、後に川勝隆雄の養子となった[1]宝暦8年(1758年)9月18日、義父隆雄の隠居により、その家督(上野相模内2,800石)を継いだ。

宝暦9年(1759年)4月5日、江戸城西の丸の小姓組に列した。宝暦11年(1761年)8月3日から本城に勤仕し、宝暦12年(1762年)12月15日から再び西の丸に仕えた。安永4年(1775年)正月11日、使番となり、同年閏12月11日に布衣を着る事を許された。天明元年(1781年)閏5月8日、小普請組支配に転じ、天明8年(1788年)8月16日、退職を許され寄合に列した。寛政10年(1798年)4月25日、63歳で隠居した。家督は嫡男の隆重に譲った。没年不詳。

脚注

  1. ^ 隆尚の嫡男の川勝隆盛が病のため廃嫡され、隆盛の嫡男の川勝隆忠が祖父隆尚の家を継いだ。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代:
隆雄
川勝知氏系隆尚流
4代:1758年 - 1798年
次代:
隆重




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