川之江と高知を結ぶ道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 14:28 UTC 版)
別名土佐北街道。愛媛県川之江から新宮、馬立を経て笹ヶ峰峠を越え、高知県大豊町立川(たぢかわ)、本山町などを経て高知城下に至る道。797年(延暦16年、北山官道として開かれる。江戸時代中期の享保3年(1718年)以降、土佐藩主土佐山内氏が参勤交代時に使用している。また金毘羅参りが盛んになると、土佐から伊予に出て、さらに川之江からは伊予・土佐街道(金毘羅街道)を利用して金刀比羅宮に通じる陸路として多くの旅人がこの街道を利用した。 ほぼ現在の愛媛県道・高知県道5号川之江大豊線に相当する。高知自動車道の大豊-川之江間が並行して走っている。明治時代以降、阿波池田経由の国道32号に相当するルートが整備されるようになると主要な交通路はそちらへ移った。高知自動車道整備に際して拡幅工事が行われているが交通量はいぜん少ない。
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