崩御とその業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:42 UTC 版)
第二次エジプト・トルコ戦争のさなかに、既にマフムト2世は健康を害していた。1839年、崩御の直前にタンジマートの下準備を開始し、ギュルハネ勅令の起草を始めていたが、6月30日、マフムト2世は結核の悪化によってイスタンブールにて崩御し、長男のアブデュルメジト1世が後を継いだ。 彼は個人として様々な努力を行ったにもかかわらず、その治世における帝国の軍事的な退潮を押しとどめることはできなかった。しかしながら、彼が引いた近代化改革がなくしては帝国の存続はありえなかったのも確かであり、続く時代のタンジマート改革の基盤として彼が果たした役割は大きい。
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