島袋収容所と野嵩収容所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:14 UTC 版)
「沖縄の収容所」の記事における「島袋収容所と野嵩収容所」の解説
米軍は4月2日には中城村島袋を突破、島袋が収容所と指定された。翌3日には地元住民200名と砂辺収容所から徒歩で連行された二・三千人の住民と、破壊されていない島袋の民家に共生する状態となった。米軍の戦闘日誌によると、 島袋収容所の開設は4月4日で、既に4月13日には収容者数は10,785人となり、7月12日の閉鎖まで約3か月間運営された。女性に対する性暴力などもあり、CP の護衛が増員された。その後、6月末頃から金武町の宜野座収容所(福山)への移送が始まった。 また野嵩収容所も4月4日に開設され、一時は1万⼈は優に超える住⺠が収容されたが、次々と北部の収容所に送られ、その後は南部から北部の収容所に移送する際の中継地として使用された。 米軍上陸時の収容所開設島袋収容所 中城村島袋 4月4日から7月12日まで。その後、福山収容所などに移送。 野嵩収容所 宜野湾村野嵩 4月4日に開設。収容者移転の中継地的に使用される。
※この「島袋収容所と野嵩収容所」の解説は、「沖縄の収容所」の解説の一部です。
「島袋収容所と野嵩収容所」を含む「沖縄の収容所」の記事については、「沖縄の収容所」の概要を参照ください。
- 島袋収容所と野嵩収容所のページへのリンク