島田保之助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 島田保之助の意味・解説 

島田保之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 14:51 UTC 版)

島田保之助

島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日[1][2]1858年11月17日) - 昭和2年(1927年2月21日)は、衆議院議員立憲政友会中正会憲政会)、ジャーナリスト

経歴

近江国野洲郡中洲村大字新庄(現在の滋賀県守山市)出身。郷里で漢学を修めた後、京都に遊学した。1880年(明治13年)、滋賀県医学校に入学したが、翌年に東京に遊学した[3]。東京で自由民権運動に参加し、1884年(明治17年)に自由党に入党。その後も立憲自由党の設立に尽力し、1892年(明治25年)から自由党滋賀県支部幹事を務めた[3]1894年(明治27年)、「淡海民報」を創刊し、1902年(明治35年)には「江州新聞」を創刊した[3]

1903年(明治36年)より滋賀県会議員を務めた後、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙に立憲政友会から立候補し、当選した。しかし政友会が第1次山本内閣と妥協したのを不満として、尾崎行雄らとともに離党した[1]1915年第12回衆議院議員総選挙では中正会から出馬し、当選した。

脚注

  1. ^ a b 『現代日本の政治家』P.63-64
  2. ^ 『第二十八議会衆議院議員写真列伝』では10月10日生まれ
  3. ^ a b c 『第二十八議会衆議院議員写真列伝』P.87

参考文献

  • 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。 
  • 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「島田保之助」の関連用語

島田保之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



島田保之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの島田保之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS