島津勝久(しまづ かつひさ) 1503~1573
○宮房丸 又八郎 八郎 忠兼 義忠 左衛門尉 修理大夫 陸奥守
◇父:島津陸奥守忠昌 室:島津薩摩守忠興女、禰寝式部大輔重就女 子:島津忠良、久孝、又四郎、宗俊 養子:島津貴久
兄二人の死により、若年にして第14代薩摩守護職を継いだ為、妻の兄薩州家島津実久を執権とする。しかし、実久は専横な振舞をするようになり、成長してきた勝久と不和になって、勝久は実久を執権から外し追い出した為、実久の攻撃を受けた。そこで勝久は相州家島津忠良を頼り、その長子貴久を養子として跡を譲るが、しばらくすると今度は実久に担がれ、守護に返り咲こうとして、忠良・貴久と不和となる。しかし家中に離反され孤立し、薩摩を身一つで逃げ出して、最期は豊後にて行き倒れ状態で亡くなったといわれる。
◇父:島津陸奥守忠昌 室:島津薩摩守忠興女、禰寝式部大輔重就女 子:島津忠良、久孝、又四郎、宗俊 養子:島津貴久
兄二人の死により、若年にして第14代薩摩守護職を継いだ為、妻の兄薩州家島津実久を執権とする。しかし、実久は専横な振舞をするようになり、成長してきた勝久と不和になって、勝久は実久を執権から外し追い出した為、実久の攻撃を受けた。そこで勝久は相州家島津忠良を頼り、その長子貴久を養子として跡を譲るが、しばらくすると今度は実久に担がれ、守護に返り咲こうとして、忠良・貴久と不和となる。しかし家中に離反され孤立し、薩摩を身一つで逃げ出して、最期は豊後にて行き倒れ状態で亡くなったといわれる。
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