佐々孫介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 23:20 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
|
佐々 孫介(さっさ まごすけ、大永6年?(1527年?) - 弘治2年8月24日(1556年9月27日))は、戦国時代の武将。佐々成政の次兄。織田信長に仕える。諱は不明。系図類には「成経」「勝重」ともあるが、信用の限りではない。
大永6年(1527年)、佐々成宗(盛政)の次男として尾張国井関城に生まれる。天文11年(1542年)8月、齢17歳にして三河国小豆坂の戦いで功名[1]。兄隼人正と共に小豆坂七本槍の一人に数えられる[2]。弘治元年11月26日(1556年1月7日)に坂井孫八郎が織田信光を殺す事件があり、孫介は信長の命により5人の討っ手と共に坂井を成敗した[2]。翌2年8月、稲生の戦いに武者大将として出陣し奮戦するも討死を遂げた[3]。子に佐々行政。
脚注
佐々孫介(さっさ まごすけ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 05:25 UTC 版)
「戦國ストレイズ」の記事における「佐々孫介(さっさ まごすけ)」の解説
佐々家次男。成政の次兄。着物を着崩している。兄と同じく優秀で弟思いだが、成政が友達(かさね達)を家に連れてきたことに仰天するなど、良くも悪くも正直な人。
※この「佐々孫介(さっさ まごすけ)」の解説は、「戦國ストレイズ」の解説の一部です。
「佐々孫介(さっさ まごすけ)」を含む「戦國ストレイズ」の記事については、「戦國ストレイズ」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 佐々孫介のページへのリンク