松浦の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 10:13 UTC 版)
松浦という地名は戦国時代より見え、大隅国向島のうちであった。天文6年(1537年)の島津勝久宛行状により本田董親に松浦の地が宛がわれた。2年後の天文8年(1539年)の「樺山玄佐譜」によれば松浦と二俣の区域が樺山善久に宛がわれたとされるが、ほどなく樺山氏の手を離れた。
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