山本貞次 本名(貞治)
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「山本又五郎」の記事における「山本貞次 本名(貞治)」の解説
15代の長男 1885年(明治18年) - 没年不詳。戸籍上では、1891年(明治24年)に6歳で山本又五郎を家督相続するも1893年(明治26年)8歳で家督相続を解除し、15代正壽の弟である大椿が家督を相続して16代となった。日本橋を装飾する麒麟および獅子像の鋳造を分担し、『開橋記念日本橋志 後編』日本橋志 [日本橋志 : 開橋記念](Google ブックにおいて無料閲覧可能)(東京印刷、1912年)の「第三章 獅子と麒麟」に 適確なる職工とを有する欺業者として、岡崎雪聲、野上龍起、香取秀眞、平塚駒次郎、佐藤政五郎、山本貞次、高橋凌雲等の工場を使用し、各其徒弟職工を分属し、適当部分の工作に従事せん事を依嘱したものである。 — 『開橋記念日本橋志 後編』164頁 「岡崎雪聲、香取秀真」 欄干の獅子像 欄干の麒麟像 開橋記念日本橋志 日本橋 徳川慶喜公筆
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