山宮鼎
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山宮 鼎(さんぐう かなえ、1877年〈明治11年〉6月5日[1][2] - 1951年〈昭和26年〉11月6日[3])は、日本の内務官僚。名古屋市助役。
経歴
山形県東置賜郡高畠町出身[1]。米沢藩士の山宮咸一の長男として生まれる。山形中学校出身[4]。1905年(明治38年)、早稲田大学法律科を卒業し、文部属となり[1][2]普通学務局に配属された[5]。1907年(明治40年)11月[5]、文官高等試験に合格[1][2]。東京府属、三重県事務官、長崎県事務官、鳥取県警察部長、北海道庁警察部長、栃木県内務部長を経て、1920年(大正9年)に神奈川県産業部長に就任した[1][2]。その後、内務監察官を経て、1924年(大正13年)に退官した[1]。
その後、名古屋市助役を1927年(昭和2年)まで務めた[6]。
親族
脚注
- ^ a b c d e f 名古屋市会史 1939, pp. 598–599.
- ^ a b c d 人事興信録 1918, p. ヤ92.
- ^ a b 『山宮允著作選集 第三巻』517頁。
- ^ 早稲田大学紳士録 昭和15年版279コマ
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、189頁。
- ^ 名古屋市会史 1939, p. 593.
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 名古屋市会事務局編『名古屋市会史 第1巻』名古屋市会事務局、1939年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『山宮允著作選集 第三巻』山宮允著作選集刊行会、1966年。
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