属人区という形態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 14:26 UTC 版)
区分の基準が「地域」によって分けられる従来の教区とは異なり、移民や職業・典礼等の地理的ではない基準で分けられるのが属人区(読み:「ぞくじんく」、羅語:praelatura personalis/ 英語:personal prelature)に相当する。いわゆる修道会とも異なる。1965年の第2バチカン公会議で、従来の教区に加えて新しい法形態として属人区の将来的な設置が可能であると定められた。パウロ6世とその後継者により、オプス・デイを属人区とする可能性が検討され始め、1969年から1981年にかけて聖座とオプス・デイが参加したうえで属人区になるための準備作業が行われた。その結果、1982年に教皇ヨハネ・パウロ2世が公布した使徒憲章「Ut sit(ウット・シット)」の中でオプス・デイは属人区として認められた。同時にオプス・デイの代表(当時は「総長」)であったアルバロ・デル・ポルティーリョが同教皇により属人区長に任命された。創立者ホセマリア・エスクリバーが帰天してから7年後のことであった。
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