小笠原長教 (石見小笠原氏)とは? わかりやすく解説

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小笠原長教 (石見小笠原氏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 08:39 UTC 版)

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小笠原長教
時代 南北朝時代 - 室町時代
生誕 不詳
死没 応永21年7月6日1414年7月22日[1]
戒名 道生院殿
官位 右馬助
幕府 室町幕府
主君 足利義持
氏族 清和源氏義光流石見小笠原氏
父母 父:小笠原長義[2]
兄弟 長教、西長助[2]、長谷長吉[2]、上村長辰[2]
長性、高見長勝[3]、南長貞[2]、君谷好兼[2]、山中長資[2]
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小笠原 長教(おがさわら ながのり)は、南北朝時代から室町時代にかけての武士石見国邑智郡河本郷(現在の島根県邑智郡川本町)の温湯城を本拠とする国人石見小笠原氏の第6代当主。

生涯

石見小笠原氏第5代当主の小笠原長義の嫡男として生まれる。応永10年(1403年10月25日に父・長義が死去し[1]、その後を継いだ。

応永16年(1409年9月3日に大家庄三原郷内の4ヶ村のうち三原古路原などを、応永21年(1414年1月13日には河本郷内の松原を甘南備寺へ寄進した。

応永21年(1414年)7月6日に死去。嫡男の長性が後を継いだ。

脚注

  1. ^ a b 長江寺過去帳』
  2. ^ a b c d e f g 『萩藩諸家系譜』114-115頁。
  3. ^ 『川本町文化財シリーズⅤ 石見小笠原氏史と伝承』32頁。

参考文献

先代:
小笠原長義
石見小笠原氏当主
1403年 - 1414年
次代:
小笠原長性



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