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小林照朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 17:27 UTC 版)

小林照朗

小林 照朗(こばやし てるあき、1878年明治11年)1月2日[1] - 没年不詳)は、日本社会学者教育者

経歴

大阪府出身。1905年(明治38年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業[1]。佛教大学(現在の龍谷大学)教授を務めるかたわら[2]京都帝国大学法科大学・文科大学大学院で学んだ[1]1908年(明治41年)、東京女子高等師範学校教授に任命され、翌年から東京帝国大学文科大学講師を兼ねた[1]1911年(明治44年)、教育学社会学研究のためイギリスフランスドイツに留学し、パリ大学ベルリン大学で学んだ[1]。留学中にロンドンで開催された万国人権会議と、ハーグで開催された万国道徳会議に出席した[1]1914年大正3年)、帰国し、1917年(大正6年)に東京女子高等師範学校附属高等女学校となった[1]。その後福岡女子専門学校校長を務めた[3]

著書

  • 『日本之社会』(金港堂、1910年)
  • 『欧米教育の印象』(育英書院、1916年)
  • 『欧米の社会と日本の社会』(日本学術普及会、1916年)

脚注

  1. ^ a b c d e f g 人事興信録 1918.
  2. ^ 帝国大学出身録 1922, p. 619.
  3. ^ 『職員録 大正12年』印刷局、1923年、p.466

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。 
公職
先代
(新設)
福岡県女子専門学校
1925年 - 1926年
福岡県立女子専門学校長
1923年 - 1925年
次代
十倉精一
先代
槙山栄次
東京女子高等師範学校附属高等女学校主事
1917年 - 1920年
次代
藤井利誉



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