小林 照子とは? わかりやすく解説

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小林照子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/23 01:55 UTC 版)

小林 照子 (こばやし てるこ、1935年2月24日 - ) は、元コーセー取締役、美・ファイン研究所創業者。東京都練馬区出身。

長女は小林ひろ美

来歴

3歳ころ両親が離婚、再婚した父に引き取られる。1942年に実父と死別し、継母の兄夫婦の養女となる。戦争の激化により養母の故郷である山形県狩川町に疎開。1951年に養母が死去し、納骨のため上京して自立を決意。東京で保険外交員をしながら、夜間は東京高等美容学院に通い美容師免許取得。

1958年から小林コーセー[注釈 1]で美容部員として2年勤務した後、本社教育課に配属される。1964年、長女小林ひろ美を出産。1965年、同社マーケティング部に新設された美容研究室に異動。世田谷区下北沢に転居した際、自宅近くにアトリエを構え、若手指導を始める。1970年、アメリカに18日間視察旅行。1983年、小林コーセーが開校したザ・ベストメイクアップ・スクール(美容師養成施設ではない)初代校長に就任。1985年、小林コーセー女性初の取締役に就任[1]

1991年、コーセー取締役を辞任し、 株式会社美・ファイン研究所設立。1994年、フロムハンドメイクアップアカデミー(美容師養成施設ではない)開校。1997年、リバイタライズサロンクリーム(原宿)開店。2010年、青山ビューティ学院高等部東京校(原宿)。2012年、リバイタライズサロン京都sion。2013年、青山ビューティ学院高等部京都校設立。JMAN(Japan Makeup Artist Network)、医・美・心研究会、エンゼルメイク研究会等のボランティア活動。「小林照子の印象分析・表現システム 和=美」 (実用新案取得済) をIT制作した[要出典]

著書

出演

  • 日曜美術館「化粧が呼び覚ます肌の記憶 メイクアップアーティスト 小林照子」(2024年2月11日、NHK Eテレ[2]

脚注

注釈

  1. ^ 1991年社名をコーセー (KOSE)に変更。

出典

  1. ^ 83歳、コーセーの元祖女性役員が語る「女性活躍に足りないもの」”. ダイヤモンド・オンライン. 2019年6月23日閲覧。
  2. ^ "化粧が呼び覚ます肌の記憶 メイクアップアーティスト 小林照子". NHK. 2024年2月11日. 2024年3月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年3月6日閲覧

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