小川三郎_(医師)とは? わかりやすく解説

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小川三郎 (医師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/17 01:40 UTC 版)

小川 三郎(おがわ さぶろう、1904年3月16日 - 1995年9月20日)は、日本小児科医師

略歴

長野県諏訪郡富士見村(現・富士見町)出身。実業家小川金治の二男として生まれる。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1930年慶應義塾大学医学部を卒業した。

同大助手、慶應義塾大学病院小児精神衛生相談員を務めた後、1939年東京市日本橋小児保健所長となる。1940年、国際聖母病院(現・聖母病院)小児科部長兼副院長に就任する。

1945年、慶應堂病院院長となる。1965年より青山学院大学教授兼保健管理センター所長を務め、1970年に小川医学研究所を開設した。

著書

  • 『精神薄弱児』唐澤光徳校閲、金原商店、1937年2月。 
  • 『心身保健学』日本文化科学社、1967年4月。 
  • 『治療教育 : 異常児の臨床と教育指導』医学書院、1967年12月。 
  • 『毛細血管像と臨床』鳥海書房、1994年3月。ISBN 978-4794702159 
  • 『難病早期診断と治療』叢文社、1996年8月。 ISBN 978-4794702517 

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