小山田信茂の投石隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:29 UTC 版)
「三方ヶ原の戦い」の記事における「小山田信茂の投石隊」の解説
三方ヶ原の戦いでは武田家臣の小山田信茂が投石隊を率いたとする逸話が知られる。三方原における投石隊に関して、『信長公記』諸本では武田氏では「水役之者」と呼ばれた200 - 300人の投石部隊が礫(つぶて)を打ったと記している。一方、『三河物語』でも武田氏では「郷人原(ごうにんばら)」と呼ばれた投石隊が率いられていたとしている。 これらの史料では投石隊を率いたのが小山田信茂であるとは記述されていないが、江戸時代には正徳4年(1714年)の遠山信春『總見記(そうけんき)』においては信玄は信茂に先陣を命じ、それとは別に「水役之者」を先頭に立たせ礫を投げさせたと記し、これは「水役之者」を率いたのが小山田信茂であると誤読される可能性が指摘されている。 1910年(明治43年)には陸軍参謀本部編『日本戦史 三方原役』においては信茂が投石隊を率いたと記され、1938年(昭和13年)の『大日本戦史』では陸軍中将・井上一次が同様に投石隊を率いたのが小山田信茂であると記している。その後、信茂が投石隊を率いた点が明確に否定されることがなかったため、俗説が成立したと考えられている。
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