小倉への移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:52 UTC 版)
1920年、家族で小倉市に移ったため、天神島尋常小学校に転校。小倉に定住したのは小学校5年生の時(10歳〜11歳)と推定される。 古船場町の銭湯の持で暮らし、後にバラック家を借り、そこに住んだ。家の前には白い灰汁の流れる小川があり、近くの製紙会社から出る廃液の臭気が漂っていた。1922年、板櫃尋常高等小学校に入学。両親は大八車を転がす露天商を経て翌年、飲食店を開業した。 1922年に小倉で発行された同人誌『とりいれ』に「風と稲」と題する松本清張名義の詩が掲載されており、これが従来は知られていない少年期の清張作品である可能性が指摘されている。
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