富山允就とは? わかりやすく解説

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富山允就

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 01:39 UTC 版)

富山 允就(とみやま まさなり、1928年7月30日 - 2005年11月7日)は、日本実業家玩具メーカー・トミー(現・タカラトミー)第2代社長。本名は富山 長次郎(とみやま ちょうじろう)[1]東京都出身。

来歴・人物

富山商事専務時代に父・栄市郎の命で鉄道模型プラレール」を製作[2]1974年、富山玩具製作所創業から50周年を機に父の後継でトミー第2代社長に就任し、消費者センター設立などの組織改革を実施すると共に米国ヨーロッパに相次いで現地法人を設立する。「黒ひげ危機一発」や「ゾイド」など自社開発のヒット商品を次々に送り出す一方で、競合事業者のバンダイが積極的であったキャラクター商品を用いたコンテンツビジネスには消極的な路線を採り続けた。

しかし、日本国内市場よりも玩具の輸出に重点を置く経営方針が1985年プラザ合意に端を発する円高の急伸で破綻し、取締役の長男・幹太郎が提示した日本国内の工場を1箇所を除いて閉鎖するリストラ案を巡って対立を続けた末に1986年、幹太郎に社長職を譲り会長に就任[3]2000年に日本玩具文化財団より第3回玩具文化貢献賞を受賞する[4]

2005年11月7日、心不全のため栃木県下都賀郡壬生町の病院で死去。77歳[1]

脚注

  1. ^ a b 富山允就氏死去 前トミー社長”. 47NEWS. 共同通信社 (2005年1月27日). 2011年7月10日閲覧。
  2. ^ ニッポン・ロングセラー考 Vol.91 プラレールNTTコムウェア
  3. ^ 闘いつづける経営者たち 富山幹太郎(J-net21)
  4. ^ 表彰事業 活動実績(日本玩具文化財団)
先代
富山栄市郎
トミー工業社長
第2代:1974年 - 1986年
次代
富山幹太郎



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