富士の巻狩と敵討ち事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:20 UTC 版)
建久4年(1193年)5月に富士の巻狩りが行われ、祐信は御家人として参加した。『吾妻鏡』によると、5月16日に富士野にて頼朝の嫡男源頼家が初めて鹿を射止め、その日の晩に山神・矢口祭が執り行われた。鹿を射止めた際に側に候していた然るべき射手が3人召し出され矢口餅を賜ったが、祐信はその3人目として頼朝により選ばれている。 先の2人が儀式を終え祐信の番となり、頼朝は「三の口はどのようなものであろうか」と問いかける。祐信はこの言葉の意図が分からず、頼朝が自身に勧めるだろうと考えていた矢口餅を食べてしまった。その行為に対し頼朝は不満を持ったとある。 同28日には曽我兄弟の仇討ちが発生した。これは継子である曽我兄弟が、兄弟から見て敵にあたる工藤祐経を討った事件であり、祐信にとっても大事件であった。『吾妻鏡』建久4年(1193年)6月1日条に「曾我太郎祐信、恐怖して魂を消すといへども、同意の支證なきによって宥めらると云々」とあり、祐信は連座を恐れたが兄弟に同意した証拠はないとして許されている。同7日には頼朝より帰郷を許された上に曾我荘の年貢を免除され、また曽我兄弟の菩提を弔うよう命じられている。
※この「富士の巻狩と敵討ち事件」の解説は、「曾我祐信」の解説の一部です。
「富士の巻狩と敵討ち事件」を含む「曾我祐信」の記事については、「曾我祐信」の概要を参照ください。
- 富士の巻狩と敵討ち事件のページへのリンク