宮本顕治は「人殺し」事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 04:22 UTC 版)
「予算委員会」の記事における「宮本顕治は「人殺し」事件」の解説
1988年(昭和63年)2月6日の衆議院予算委員会での質疑で、日本共産党議員の正森成二に「過激派の泳がせ政策」を肯定する自由民主党本部放火襲撃事件直後の発言を引用された浜田幸一委員長が、その発言を認めたうえで「我が党は旧来より、終戦直後より、殺人者である宮本顕治君を国政の中に参加せしめるような状況をつくり出したときから、日本共産党に対しては最大の懸念を持ち、最大の闘争理念を持ってまいりました」と主張。更に浜田とのやり取りを打ち切って大蔵大臣である宮澤喜一への為替介入に係る質問をしていた正森を突如遮り「昭和8年12月24日、宮本顕治ほか数名により、当時の財政部長小畑達夫を股間に……」「針金で絞め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね。」「私が言っているのは、ミヤザワケンジ君が人を殺したと言っただけじゃないですか。」等と不穏当発言を始め、委員会は大荒れとなった(参照:日本共産党査問リンチ事件)。浜田はこの件で委員長を辞任した。
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