宮崎荊口・此筋・千川・文鳥
荊口像
宮崎荊口は、本名宮崎太左衛門。大垣藩百石扶持の藩士。一家で蕉門に入る俳諧熱心で、此筋・千川・文鳥は宮崎荊口の息子達。『奥の細道』の旅で大垣に到着した芭蕉を、父子揃って出迎えた。その時の気分を、「蘇生の者に会う」気分であったと芭蕉は記している。
千川にあてた句「篠の露袴に掛けし茂り哉」がある。
宮崎荊口父子の代表作
荊口
あすと云花見の宵のくらき哉(『炭俵』)
柿寺に麥穂いやしや作どり(『炭俵』)
芋喰の腹へらしけり初時雨(『炭俵』)
藪疇や穂麥にとヾく藤の花(『續猿蓑』)
物よはき草の座とりや春の雨(『續猿蓑』)
虫の喰ふ夏菜とぼしや寺の畑(『續猿蓑』)
此筋
若草や松につけたき蟻の道(『續猿蓑』)
苗札や笠縫をきの宵月夜(『續猿蓑』)
此中の古木はいづれ柿の花(『續猿蓑』)
蘭の花にひたひた水の濁り哉(『續猿蓑』)
千川
麥の穂と共にそよぐや筑波山(『炭俵』)
元日や夜ぶかき衣のうら表(『續猿蓑』)
年切の老木も柿の若葉哉(『續猿蓑』)
鶯や貌をみられて笹の影
文鳥
炭の火の針ほど残る寒さかな
じか焼や麥からくべて柳鮠(『續猿蓑』)
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