宣長との旅行と別れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 06:31 UTC 版)
享和元年(1801年)1月宣長の滞在する和歌山に行き、同宿した、2月3日感応寺を訪問した後、2月23日宣長と出発し、大坂、奈良を巡り、3月1日松坂に到着した。 到着後間もなく宣長と京都へ出発し、3月30日到着、三十三間堂、清水寺、城戸千楯宅、日野資枝宅、泉湧寺等を訪れ、6月17日名古屋に帰った。 帰宅後間もない8月28日宣長の危篤を聞き、松坂に急行したが間に合わず、死を悼んだ後帰宅し、本居春庭門下に入った。宣長死後も引き続き『古事記伝』の出版に励んだ。
※この「宣長との旅行と別れ」の解説は、「植松有信」の解説の一部です。
「宣長との旅行と別れ」を含む「植松有信」の記事については、「植松有信」の概要を参照ください。
- 宣長との旅行と別れのページへのリンク