宣阿と陰徳太平記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 09:18 UTC 版)
宣阿は『陰徳太平記』の著者として有名であるが、その原典である『陰徳記』は宣阿の父、香川正矩が執筆していたものである。万治3年(1660年)に父の正矩が執筆半ばにして逝去。父の遺志を継いだ景継は京都に遊学、執筆を続ける。寛文5年(1665年)兄・香川正経は、岩国出身の儒学者宇都宮三近に依頼し、『陰徳記序』を執筆させている。元禄8年(1695年)景継は『陰徳記自序』を書いており、この頃に『陰徳太平記』は完成していたと考えられている。 元禄11年(1698年)岩国藩の検閲を経て、宝永3年(1706年)出版許可、正徳2年(1712年)出版に至った。
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