宣伝中隊の歴史
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1938年初頭、国防軍最高司令部(OKW)総長ヴィルヘルム・カイテル将軍と宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは「戦時宣伝の実施に関する合意書」(Abkommen über die Durchführung der Propaganda im Kriege)なる文書に署名した。この文書の中では、OKW所属の宣伝部隊が定期的に戦時宣伝の材料を宣伝省(RMVP)に供給する事が取り決められていたが、同時に戦時宣伝そのものは総統から権限を与えられている宣伝省がもっぱら担うこととされていた。この合意に基づき、5個の宣伝中隊が設置されたのである。これらの部隊は当初通信隊(ドイツ語版)の元に置かれていたが、1942年10月14日には独立した兵科となり、ライトグレーの兵科色が与えられた。彼らは国防軍最高司令部内に設置された国防軍宣伝局(Amtsgruppe für Wehrmachtspropaganda, WPr)によって管轄され、宣伝局長はハッソ・フォン・ヴェーデル(ドイツ語版)大佐だった。
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