安藤新太郎
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安藤 新太郎(あんどう しんたろう、1868年2月9日(慶応4年1月16日[1]) - 1919年(大正8年)2月13日[2])は、日本の政治家、実業家。
経歴
播磨国明石郡、のちの兵庫県明石郡大久保村(大久保町を経て現明石市大久保町[2])出身。明治法律学校卒業。
庄屋橋本家から大久保宿本陣を務めた安藤家に養子入りし、当主となる。
1903年(明治36年)、衆議院議員に初当選した後、連続4期務め、第16回列国議会同盟会議などに参加した。
1905年に創設された辰馬本家汽船部に、辰馬本家と共に資金を出仕し取締役として経営に参画、1917年に辰馬本家酒造が創設された際には監査役を務めるなど、同族経営の辰馬財閥に於いて重きをなした。その他にも、浦賀船渠取締役、日本汽船問屋業同盟会会長などの要職を務めた。1916年、勲三等授与。 兵庫県明石市大久保町大窪に碑が建立されている。[要出典]
脚注
参考文献
- 『兵庫県人物事典 下巻』のじぎく文庫、1968年。
- 『政治家人名辞典』日外アソシエーツ、1990年。
関連項目
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