安倍清成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動安倍 清成(あべ の きよなり)は、奈良時代の貴族。氏は阿倍、名は浄成とも記される。従四位下・阿倍安麻呂の孫で、従五位下・阿倍豊継の子とする系図がある[1]。官位は正五位上・員外右中弁。
経歴
天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に行われた叙位にて従五位下に叙爵。称徳朝では鋳銭長官・右中弁・造宮大輔といった京官を歴任し、神護景雲2年(768年)鋳銭長官として公務に精励していることを賞せられて、次官・多治比乙安とともに昇叙され、清成は従五位上に叙せられている。
宝亀元年(770年)光仁天皇の即位に伴って正五位下・員外右中弁に叙任され、宝亀3年(772年)美作守を兼ねた。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字8年(764年) 10月7日:従五位下
- 時期不詳:鋳銭長官
- 神護景雲2年(768年) 5月21日:従五位上
- 時期不詳:右中弁
- 神護景雲3年(769年) 3月10日:兼田原鋳銭長官。8月19日:造宮大輔
- 神護景雲4年(770年) 8月4日:作山陵司(称徳天皇崩御)。10月1日:正五位下。10月23日:員外右中弁
- 時期不詳:正五位上
- 宝亀3年(772年) 4月20日:兼美作守
脚注
- ^ 宝賀[1986: 374]
出典
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