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宇佐美敏夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 08:21 UTC 版)

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オリンピック
日本
男子 ホッケー
オリンピック
1932 ロサンゼルス ホッケー

宇佐美 敏夫(うさみ としお、1908年明治41年)2月22日 - 1991年平成3年)6月1日[1]) は、愛知県出身[2]フィールドホッケー選手。

経歴

1931年(昭和6年)東京商科大学本科を卒業[2]

1932年にロサンゼルスオリンピックに代表選出され、出場した3チーム中2位で銀メダルを獲得した。フォワードとして2試合に出場した。

戦後、日本ホッケー協会名誉副会長、鳴海陶器会長を務めた[2]

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、160頁。
  2. ^ a b c 『現代物故者人名辞典 1991-1993』98頁。

参考文献

  • 日外アソシエーツ編『現代物故者人名辞典 1991-1993』日外アソシエーツ、1994年。

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