宇佐美房忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 01:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動|  | |
|---|---|
| 時代 | 室町時代・戦国時代 | 
| 生誕 | 不明 | 
| 死没 | 永正11年(1514年) | 
| 別名 | 宇佐美孝忠?宇佐美弥七郎房忠[1] | 
| 幕府 | 室町幕府 | 
| 主君 | 越後上杉氏 | 
| 氏族 | 宇佐美氏 | 
| 父母 | 宇佐美孝忠? 養父:宇佐美定秀?[1] | 
| 子 | 宇佐美定満 | 
宇佐美 房忠(うさみ ふさただ、? - 1514年)は、室町時代・戦国時代の武将。琵琶島城主。
生涯
永正3年(1506年)長尾為景による下剋上で守護となった主君、上杉定実だが実権は長尾為景が掌握した。
永正10年(1513年)それをよく思ってなかったのが上杉定実で、上杉定実は打倒為景を掲げ味方の宇佐美房忠を中心に挙兵した。[2]。
上杉定実と共に小野城を拠点にして戦ったが[3]、春日山城を占拠していた定実が為景に幽閉され、戦況は為景有利で展開された。[2]
永正11年(1514年)小野城が陥落し宇佐美房忠は岩手城に退いて戦うも討ち死にした[3]。
脚注
- 宇佐美房忠のページへのリンク

 
                             
                    


