宇佐美圭司とは? わかりやすく解説

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宇佐美圭司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/09 05:25 UTC 版)

宇佐美 圭司(うさみ けいじ、1940年1月29日[1] - 2012年10月19日[1])は日本の画家大阪府吹田市出身[1][2]

経歴

大阪府吹田市生まれ[1][2]。父の転勤により和歌山市へ移住し、小中学校期を同地で過ごす[1]

1953年に家族とともに大阪に転居し大阪市立田辺中学校に編入[1]

1958年大阪府立天王寺高校卒業。東京藝術大学を受験するが不合格となり[1]、東京に居をかまえ独学で創作を開始[1]

1963年、南画廊(東京日本橋)で初個展。

1965年、「新しい日本の絵画と彫刻」展(MoMA、NY)出品。この年に見つけた『ライフ』誌上のワッツ暴動の写真から抜き出した4人の人型を、翌年の自作に用いる。

1967年、第5回パリ青年ビエンナーレ(パリ市立近代美術館)、1972年、第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ参加、他多数。

1970年、「Expo'70鉄鋼館では美術監督を務めた。

1989年、第22回日本芸術大賞を受賞。

2002年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

2012年3月に開催された個展「制動・大洪水」(大岡信ことば館)が最後の展覧会となった[2]

多摩美術大学助教授、武蔵野美術大学教授京都市立芸術大学教授などを歴任。

2012年10月19日、72歳で死去[3]。死因は心不全[3]・食道がん[1]

作品

絵画

  • 還元 No.2(1963年)(東京国立近代美術館蔵)
  • 作品 1963年4月17日(1963年)(新潟市美術館蔵)
  • アクション・フィールド(1964年)(国立国際美術館蔵)
  • ハード・トレーニング(1964年)(大原美術館蔵)
  • ジョイント(1968年)(大原美術館蔵)
  • ゴースト・プランNo.1(1969年)(セゾン現代美術館蔵)
  • Exchange No.1(1971年)(国立国際美術館蔵蔵)
  • ゴーストプラン・イン・プロセスⅠ〜Ⅳ(1972年)(目黒区美術館蔵)
  • 積層 No.1(1974年)(東京国立近代美術館蔵)
  • 積層 No.2(1974年)(国立国際美術館蔵)
  • プロフィールのこだま:積層(1976年)(目黒区美術館蔵)
  • やがて総ては一つの円の中にNo.2(1982年)(大原美術館蔵)
  • やがて総ては一つの円の中にNo.3(1982年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 霧の街に沈む(1984年)(新潟市美術館蔵)
  • ビッグ・バン(1987年)(愛知県美術館蔵)
  • 半透明吹き抜け屋台(1988年)(京都国立近代美術館蔵)
  • 時の橋を渡る(1988年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 三十三間堂呼吸(1988年)(大原美術館蔵)
  • きのこ雲の上で(1988年)(広島市現代美術館蔵)
  • どこで生きていますかと問われて洛中洛外と答える(1991年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 杜子春(1991年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 煉獄・泡の塔(1994-97年)(セゾン現代美術館蔵)
  • ドーム・内なる外(1997年)(東京国立近代美術館蔵)
  • 道行きNo.1(1997年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 旅・After Hiroshima(2005年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 大洪水へ(2007年)(セゾン現代美術館蔵)
  • 制動・大洪水(2011-12年)(セゾン現代美術館蔵)

壁画

  • 東京大学生協中央食堂壁画作品《きずな》(1977年) - 東大生協創立30周年記念事業の一環で、募金の使途として、高階秀爾(同大学名誉教授・当時文学部教授)の推薦で制作を依頼し、寄贈された作品だが、2017年9月14日、建物改修工事に伴い、価値が認識されなかったことや手違いなどで廃棄処分された[4]。関係者は保存については指示されていたものの情報共有がなく、「壁面に固定されていて移設不可能だった」などと釈明をしている。
  • 慶応義塾大学図書館ロビー壁画作品《やがて、すべてが一の円の中に》の ための 1/9 カルトン No.2(1982年)
  • 御坊市文化会館壁画作品《グラデーション・時の廻廊》(1984年)
  • 倉敷中央病院壁画作品《半透明吹き抜け屋台 No.1》(1988年)
  • 三重県総合文化センター壁画作品(1994年)
  • 三共株式会社研修センター壁画作品(1995年)[5]

著作

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 宇佐美圭司回顧展:絵画のロゴス 2016(平成28)年3月1日(火)-4月17日(日)出品目録
  2. ^ a b c 「MEMORIAL 追悼 宇佐美圭司」美術手帖 2013年1月号
  3. ^ a b “画家・宇佐美圭司さん死去 知的な画風を確立”. 朝日新聞. (2012年10月22日). http://www.asahi.com/obituaries/update/1021/OSK201210210058.html 2012年12月24日閲覧。 
  4. ^ 東京大学中央食堂の絵画廃棄処分についてのお詫び”. 東京大学消費生活協同組合. 東京大学消費生活協同組合. 2018年5月8日閲覧。
  5. ^ 宇佐美圭司回顧展:絵画のロゴス - 和歌山県立近代美術館 (PDF)”. 和歌山県立近代美術館. 2020年6月10日閲覧。


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