孫恩軍の潰走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 06:48 UTC 版)
孫恩は再び浹口(浙江省寧波市鎮海区)に上陸した。高雅之は敗北したが、劉牢之の攻撃により孫恩はまた海上に引き上げた。 孫恩は方向を転じて砦を襲撃し、袁山松を殺害した。そのまま海上から京口(江蘇省鎮江市)へと向かった。劉牢之は軍を率いて迎撃しようとしたが間に合わず、孫恩が先着する形勢になった。劉牢之の部下である劉裕は部隊を率いて揚子江のほとりで攻撃し、孫恩軍を大破した。孫恩はまた船に逃げ込んだ。 孫恩はまた兵を集めて首都に向かおうとしたが、朝廷が軍隊を配置して待ち受けているのを見ると、新州(江蘇省鎮江市の西)まで進んだだけで退却した。退却途中、揚子江北岸の広陵(江蘇省揚州市)を襲撃して陥落させ、次いで海上に出て北に進路を取った。劉裕は劉敬宣(劉牢之の子)と軍隊を合流させて追撃して大破し、とうとう孫恩を遥か海上に追い払った。
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