学寮から学林へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 08:56 UTC 版)
「学寮 (西本願寺)」の記事における「学寮から学林へ」の解説
しかし、地方から学びにやってきた学生たちを放置するわけにもいかず、本山は東中筋にあった医者の屋敷を借りて仮の学寮とし、講義を継続したが、破却にあった以上「学寮」の呼称は使用できず、「学林」と呼ぶようになった。「学林」の語の初見は、第2代能化・知空の『論註翼解』にある。知空はまた1714年(正徳4年)に『学林之由来』を著している。 第3代能化・若霖の記録には「其後町名をも講舎に随い学林町と名づけ申し候」とあり、町名まで学林町と変わることとなった。今も京都市下京区に「学林町」の地名が残っている。1738年、第4代能化・法霖が「学林法制5条」を制定する。
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