妙厳寺_(上尾市)とは? わかりやすく解説

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妙厳寺 (上尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/14 05:59 UTC 版)

妙厳寺
所在地 埼玉県上尾市大字原市975
位置 北緯35度58分17.6秒 東経139度36分58.9秒 / 北緯35.971556度 東経139.616361度 / 35.971556; 139.616361座標: 北緯35度58分17.6秒 東経139度36分58.9秒 / 北緯35.971556度 東経139.616361度 / 35.971556; 139.616361
山号 龍渕山[1]
宗派 曹洞宗[1]
本尊 釈迦如来[1]
創建年 延徳元年(1489年[1]
開基 大洞存奝[1]
中興年 安土桃山時代文禄の頃[1]
中興 西尾吉次[1]
文化財 永楽通宝紋鞍付鐙一双(埼玉県指定有形文化財)、西尾隠岐守一族累代の墓、伊藤由哉碑と墓(以上、上尾市指定文化財)
法人番号 3030005006342
妙厳寺
妙厳寺 (埼玉県)
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妙厳寺(みょうごんじ)は、埼玉県上尾市にある曹洞宗寺院

歴史

1489年延徳元年)、大洞存奝の開基とされている。その後安土桃山時代に、徳川家康家臣で当地の領主だった西尾吉次によって中興された[2]

当寺の寺宝に「永楽通宝紋鞍付鐙一双」がある。これは中興の西尾吉次が、織田信長より拝領したものである。『新編武蔵風土記稿』で、その存在は確認されていたものの[1]、長らく行方不明となっていた。1985年昭和60年)、薬師堂改修工事の際に発見された[3]

西尾吉次はその後大名に昇格し原市藩を立藩、2代忠永のときに転封されたが、当寺は西尾家の菩提寺であり続けてきた[3]

文化財

  • 永楽通宝紋鞍付鐙一双(埼玉県指定有形文化財 平成10年3月17日指定[4]
  • 西尾隠岐守一族累代の墓(上尾市指定文化財 昭和34年1月1日指定[5]
  • 伊藤由哉碑と墓(上尾市指定文化財 昭和34年1月1日指定[5]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 新編武蔵風土記稿 原市村 妙厳寺.
  2. ^ 上尾の寺社11 妙厳寺(原市)上尾市教育委員会
  3. ^ a b 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 編『埼玉県の歴史散歩(歴史散歩11)』山川出版社、2005年、212p
  4. ^ 県指定等文化財埼玉県
  5. ^ a b 上尾の指定・登録文化財一覧上尾市

参考文献

  • 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 編『埼玉県の歴史散歩(歴史散歩11)』山川出版社、2005年
  • 「原市村 妙厳寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ153足立郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/43 

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