太田資顕とは? わかりやすく解説

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太田資顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/21 02:56 UTC 版)

太田 資顕(おおた すけあき、? - 天文16年10月9日1547年11月21日))は、戦国時代武将。別名は資時(すけとき)。左京亮。信濃守。全鑑(ぜんかん)。太田資頼の嫡男。太田資正の兄。妻は成田親泰の娘。娘は遠山藤九郎及び上杉憲盛正室


  1. ^ 資顕の娘は遠山綱景の嫡子藤九郎に嫁いで一女を生んだが、藤九郎が21歳で早世したため母子とも資顕(当時は出家して全鑑)に引き取られた。資顕没後反北条派の資正が当主となったため、資顕の妻と合わせて三人とも成田長泰に引き取られた。その後資顕の娘(遠山藤九郎妻)は上杉憲盛に再嫁し、藤九郎の娘は成田長親(長泰の弟泰季の子)の妻となった。


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