天覧競馬で波乱の立役者に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 13:35 UTC 版)
「ヘヴンリーロマンス」の記事における「天覧競馬で波乱の立役者に」の解説
そして10月30日、戦後初の天覧競馬として施行されたエンペラーズカップ100年記念・天皇賞(秋)ではレースの1000m通過が62.4秒、上がり3ハロンが33秒6というスローペースで上がり勝負のレースとなったが、接戦の末GIのタイトルを獲得した。牝馬による天皇賞の優勝は1997年秋のエアグルーヴ以来8年ぶりであった。 この競走には、同年の宝塚記念で牡馬を退けて優勝したスイープトウショウ、前年の天皇賞(秋)2着馬で桜花賞優勝馬のダンスインザムード、エアグルーヴの娘でエリザベス女王杯2勝で前年の天皇賞(秋)3着馬のアドマイヤグルーヴと、3頭もの強い牝馬が出走していたことと、札幌記念の勝利がフロック視されていたこともあって、ヘヴンリーロマンスは14番人気であった。これは、ギャロップダイナの13番人気を下回る低人気での優勝となっている。また、鞍上の松永幹夫は、牝馬限定以外のJRAでのGI競走は初勝利であった。 レース終了後、松永はウイニングランの後、踵を返してヘヴンリーロマンスをメインスタンドへ向かわせて帽子を脱ぎ、競走を天覧した天皇・皇后に鞍上から最敬礼した。
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