大窪昌章とは? わかりやすく解説

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大窪昌章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 00:21 UTC 版)

 
大窪 昌章
時代 江戸時代後期
生誕 享和2年(1802年
死没 天保12年10月8日1841年11月20日
別名 通称:舒弥、舒三郎[1]、号:薜茘庵、蝸牛庵、蝸亭[2]
戒名 昌章院文応卓成居士[1]
墓所 長栄寺[1]
主君 徳川斉朝斉温斉荘
尾張藩
氏族 志村氏、大窪氏
父母 実父:志村吉昌、養父:大窪光風
大窪安治
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大窪 昌章(おおくぼ まさあき)は、江戸時代後期の尾張藩士本草学者名古屋の本草学研究会嘗百社の一員で、天保4年(1833年水谷豊文の没後同社を支えた[3]。茶道も好み、茶器を自作した[1]

経歴

志村半兵衛吉昌の次男として生まれた[1]文政4年(1821年)後半大窪光風の養子となり[2]、光風没後、文政7年(1824年)4月14日御目見して跡目を継ぎ、馬廻組、切米30俵となり、天保9年(1838年)9月12日大番組、切米50俵となった[4]

天保12年(1841年)10月8日死去し[2]、天保13年(1842年)6月14日嫡子大窪安治[3]が跡目を継いだ[5]

採薬行

作品

大東急記念文庫にも自筆本等が多数所蔵されている。

脚注

  1. ^ a b c d e 川瀬 1934, pp. 498–499.
  2. ^ a b c 磯野 2000, p. 74.
  3. ^ a b 磯野 & 田中 2010, p. 30.
  4. ^ 『藩士名寄』第11冊4丁
  5. ^ 『藩士名寄』第11冊5丁
  6. ^ a b c d e f g h i j 磯野 & 田中 2010, p. 26.

参考文献




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