大坂町奉行組与力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:45 UTC 版)
14歳で与力見習いとして大坂東町奉行所に出仕し、25歳で与力となる。奉行所時代は、組違いの同僚である西町奉行与力・弓削新左衛門の汚職を内部告発したり、切支丹の摘発や破戒僧の処断など、汚職を嫌い、不正を次々と暴いた。奉行所内では大塩を疎む者もいたが、上司の東町奉行・高井実徳は大塩を重用した。前述の弓削新左衛門の一件と、切支丹摘発、破戒僧の摘発を大塩自らが三大功績としている。切支丹の摘発は京都町奉行所との連携で行われ、また腐敗役人糾弾と破戒僧摘発は京都町奉行所や奈良奉行所、堺奉行所など上方の諸役所にも波及し、上方の綱紀粛正に一役買った。
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