大国主神の国譲り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 04:12 UTC 版)
建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)へ隠れましょう。私の180柱の子神たちは、長男の事代主神に従って天津神に背かないでしょう」と言った。すると、大国主神のために出雲国の多芸志(たぎし)の小浜に宮殿が建てられ、水戸神の孫・櫛八玉神(くしやたま)が沢山の料理を奉った。 建御雷神は葦原中国の平定をなし終えると、高天原に復命した。
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