大分教育隊の設置
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「東京陸軍航空学校」の記事における「大分教育隊の設置」の解説
1943年10月、軍令陸乙第25号により大分県大分市駄ノ原(現在の大分市王子新町)に東京陸軍少年飛行兵学校大分教育隊が設置された。大分教育隊の編制は金岡正忠大佐を教育隊長とし、本部と5個中隊である。各中隊は生徒約180名を4個区隊にわけ、さらに各区隊は2個内務班にわけられた。同月、少年飛行兵第17期の通信要員となる生徒約900名が入校した。同教育隊は西部第69部隊(歩兵第47連隊)の兵営跡地を利用して設置された。 1944年(昭和19年)4月、大分教育隊に少年飛行兵第18期生徒約1000名が入校し、生徒数の総計は約2000名、教育隊の規模は10個中隊に増加した。同年5月、軍令陸乙第26号が施行され、東京陸軍少年飛行兵学校大分教育隊は大分陸軍少年飛行兵学校に昇格した。これで陸軍少年飛行兵学校は3校となり、前述軍令陸乙第26号における編制上の生徒定員は東京校3000名、大津校3000名、大分校2000名であった。
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