大乗山浄休寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 01:18 UTC 版)
加賀国の住人清水十太夫定清が1521年(大永元年)に開基した寺。定清は山形市の専称寺二世教証房の弟子となり定清と称するようになった。開創の際は、近郷原口の興左衛門の向かい側に建てられ、その後須田坂に移り、1753年(宝暦3年)に楢下に移転。それから約20年後の1775年(安永4年)3月10日御堂が焼失。同年秋に阿弥陀地村の古家を買い取り造作(木工事)が完成。その後、本堂を再建した。
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