増田信晃とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 増田信晃の意味・解説 

増田信晃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/24 06:00 UTC 版)

増田 信晃
基本情報
本名 増田 信晃
階級 ライトフライ級
国籍 日本
誕生日 (1975-08-17) 1975年8月17日(49歳)
出身地 静岡県島田市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 30
勝ち 23
KO勝ち 3
敗け 6
引き分け 1
テンプレートを表示

増田 信晃(ますだ のぶあき、1975年8月17日 - )は、日本の元プロボクサー。第30代日本ライトフライ級チャンピオン。駿河ボクシングジム所属。島田学園高等学校卒。

来歴

  • 小学1年から中学まで空手を習い、市大会での準優勝などの実績を持つ。ボクシングを始めたのは高校を卒業してからであった。
  • 1997年3月15日、4R判定でプロデビューを飾る。
  • 1998年11月14日、6連勝で西軍代表フライ級新人王決定戦に出場も、小谷健に2RKOで敗れる。この試合が初の黒星となった。
  • 2004年4月12日、20戦18勝で山口真吾の持つOPBFライトフライ級タイトルに挑戦するが、12回判定で敗れタイトル獲得ならず。
  • 2004年9月20日畠山昌人協栄札幌赤坂ジム)を10R判定で破り日本ライトフライ級タイトルを獲得。
  • 2005年1月16日升田貴久との初防衛戦を10R判定で勝利する。以降和田峯幸生を含み5度の防衛を達成。
  • 2007年4月15日、元東洋太平洋同級王者の嘉陽宗嗣と防衛戦を行い、3-0の判定負け。6度目のタイトル防衛に失敗し、日本王座から陥落した。
  • 嘉陽戦の後、練習・試合から遠ざかり、実質引退状態となる。また、この引退期間中(2008年2月)に亀田興毅陣営から対戦オファーを受けたが、増田が所属する駿河ジムの会長は「全くジムにも練習に来ていないので受けられない」と返事し亀田戦を拒否した。
  • 2008年6月21日、ノーランカーの佐藤靖明を相手に約1年2か月ぶりの試合を行うが、判定負け。
  • 2008年11月30日愛知県産業貿易館で日本ライトフライ級5位の佐野友樹を相手に試合を行うが、7Rにはダウンを取ったが、8R3-0判定負で3連敗となる。この試合を以って引退を表明。

獲得タイトル

関連項目

前王者
畠山昌人
第30代日本ライトフライ級王者

2004年9月20日 - 2007年4月15日

次王者
嘉陽宗嗣



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「増田信晃」の関連用語

増田信晃のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



増田信晃のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの増田信晃 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS