堀としての新川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:24 UTC 版)
「新川 (東京都中央区)」の記事における「堀としての新川」の解説
現在の地名はこの地に流れていた新川に由来する。新川は堀割であり、現:新川一丁目内を、亀島川から隅田川にかけて北側の日本橋川と並行するように東西に流れており、1660年(万治3年)に豪商の河村瑞賢が開削したといわれる。『武江年表』によればこの年瑞賢が両国橋を架け替えたとされているが、新川を開削したかどうかは明らかではない。ただし瑞賢の屋敷が貞享の頃この新川付近にあったことは確かである。また江戸時代には川沿いに酒問屋が多く集まって繁盛していたと『江戸名所図会』には記されている。新川には一ノ橋・新川橋(二ノ橋)・三ノ橋・東新川橋が架けられ、隅田川に面した堀口北側には神社(現:渡海稲荷神社)が祀られていた。戦災残土の処理のため、1948年(昭和23年)から埋め立てが開始され、翌昭和24年には完全に消滅した。堀跡は道路で囲まれた地割として地図上で確認でき、東端に『新川の跡碑』がある。北新河岸、南新河岸があった。
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