埋もれていた傑作の発掘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 10:09 UTC 版)
「玉葉和歌集」の記事における「埋もれていた傑作の発掘」の解説
玉葉和歌集を評価する上で欠かすことが出来ないのが、これまで省みられることがなく埋もれていた傑作和歌を積極的に発掘した点である。先述の万葉集を代表する傑作である天智天皇の和歌を撰んだのがその典型例である。天智天皇の和歌は、これまで後撰和歌集、新古今和歌集にも撰ばれていたが、後撰集のそれは天智天皇作とは断定できないもので、新古今集の和歌も代表作とは言いがたいものであった。天智天皇の和歌以外にも、大津皇子、湯原王、鏡王女、笠郎女らの秀歌も撰んでおり、撰者京極為兼の万葉集理解のレベルが高かったことがわかる。 その他にも 建礼門院右京大夫を代表する名歌で、星の美しさの発見が光る 月をこそ眺めなれしか星の夜の深きあはれをこよひ知りぬる — 玉葉和歌集・雑二・2160 これまでの勅撰和歌集から漏れていた和泉式部の傑作である つれづれと空ぞみらるる思ふ人あまくだり来んものならなくに — 玉葉和歌集・恋二・1468 藤原定家の作で、どうしようもない夏の暑さを詠んだことで知られるが、当時の和歌の常識では評価されなかった 行きなやむ牛のあゆみにたつ塵の風さへ暑き夏の小車 — 玉葉和歌集・夏・407 征夷大将軍の座を追われ、失意のうちに京に戻った宗尊親王の憂愁に満ちた旅の歌を、やはり失意の中、流刑先の佐渡への旅を体験した撰者為兼が評価した 旅人のともし捨てたる松の火のけぶりさびしき野路の曙 — 玉葉和歌集・旅・1176 などが挙げられる。
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