坂本彌三郎
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人物情報 | |
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生誕 | 1894年4月??日![]() |
死没 | 1981年2月20日 (86歳没) |
出身校 | 神戸高等商業学校、東京高等商業学校 |
学問 | |
研究分野 | 経済学 |
研究機関 | 神戸大学、神戸学院大学 |
学位 | 経済学博士 |
坂本 彌三郎(さかもと やさぶろう、1894年4月 - 1981年2月20日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。神戸大学名誉教授。初代神戸大学経済学部長や、初代神戸学院大学経済学部長を務めた。
経歴
- 出生から修学期
1894年、広島県尾道市で生まれた[1]。尾道商業学校(現・広島県立尾道商業高等学校)[2]、神戸高等商業学校(現・神戸大学)を経て[3]、東京高等商業学校(現・一橋大学)専攻部貿易科に進んだ。1917年に卒業[4]。
- 経済学研究者として
1919年、神戸高等商業学校教授に就いた[5]。1929年より神戸商業大学(現・神戸大学)助教授兼神戸商業大学附属商学専門部教授[6]。1930年に神戸商業大学教授に昇格[7]。
- 太平洋戦争後
新制大学への包摂に伴い、1949年からは神戸大学教授兼神戸大学神戸経済大学教授[8]。また、神戸大学経済学部長も務めた[9]。1950年からは広島大学教授を兼務[10]。学界では日本学術会議会員[11]。同1950年4月の経済学史学会発足に当たっては発企人に名を連ねた[12]。1951年からは岡山大学教授を兼務[13]。1956年、学位論文『スミスの「経済学講義」における自然価格に就いて』を大阪大学に提出して経済学博士号を取得[14][15]。1958年に神戸大学を退任し、名誉教授となった[16][17]。
1967年、神戸学院大学の初代経済学部長兼法学部長に就いた事務取扱[17][18]。1981年に死去。死去と同時に叙従三位。
受賞・栄典
研究内容・業績
門下に南方寛一元神戸大学教授[16]。
- 坂本弥三郎文庫
蔵書は「坂本弥三郎文庫」として神戸学院大学に収められている[17]。
家族・親族
著作
- 共著
- 『神戸経済大学創立五十周年記念論文集 経済学編 第1-5』同文館 1953
- 『現代経済学』森川太郎共編、ミネルヴァ書房 1960
- 『英法における判例遵由の原則:田中保太郎英米法論文集』有斐閣 1961
脚注
- ^ 足立英之「尾道大学の歴史と役割」『尾道大学地域総合センター叢書』第5巻、尾道大学地域総合センター、2012年3月、3-15頁、CRID 1390009222762094464、doi:10.18899/chi.05.01、 ISSN 1883-0943。
- ^ 神戸高等商業学校学友会報 (47) 雑誌 (神戸高等商業学校学友会, 1911-05)
- ^ 神戸高等商業学校一覧 大正2年
- ^ 東京商科大学卒業生名簿 昭和16年5月末日現在
- ^ 官報 1919年02月01日
- ^ 官報 1929年10月03日
- ^ 官報 1930年04月01日
- ^ 官報昭和24年本紙第6807号 184頁
- ^ 官報昭和24年本紙第6833号 251頁
- ^ 官報昭和25年本紙第7065号 481頁
- ^ 官報昭和25年本紙第7181号 262頁
- ^ 日本経済学会連合ニュース創立30周年記念特輯号
- ^ 官報昭和26年本紙第7362号 472頁
- ^ 坂本弥三郎1894-1981『スミスの「経済学講義」における自然価格に就いて』大阪大学〈経済学博士 報告番号不明〉、1956年。 NAID 500000494943 。
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ a b 坂本先生 : 人と学問 (坂本彌三郎博士記念號) / 南方, 寛一国民経済雑誌 1958-10
- ^ a b c 学部の歴史神戸学院大学法学部
- ^ 森茂樹物語神戸学院大学
- ^ 官報昭和44年号外第53号 2頁
- ^ 官報昭和56年本紙第16242号 12頁
- ^ 人事興信録 第14版 上
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