坂口陽史との邂逅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/19 21:25 UTC 版)
「ライフプランナー」の記事における「坂口陽史との邂逅」の解説
当時、日本で生命保険会社を立ち上げるためにはまずは大蔵省からの認可を得る必要があった。しかし日本の大蔵省と接点があり、かつ米国の生命保険業界についても詳しい人間などのそうそういるはずもなかった。少し時は遡り1974年に米国オクシデンタル生命(オクシデンタル・インターナショナル)は日本進出のために大蔵省との折衝を行っていた。その交渉にあたっていたのは日本人で初めての米国アクチュアリーに合格した坂口陽史であった。坂口陽史は大学卒業後に幾つかの生命保険会社を経て米国エクィティ・ファンディング生命保険のチーフ・アクチュアリーをしていたが、オクシデンタル生命の日本進出の大蔵省との交渉役に抜擢され日本とアメリカを往復していた。交渉の末にオクシデンタル生命は日本進出を断念。その1977年に経営コンサルタントとして独立した坂口陽史の下へ一本の仕事の依頼が入る。昔から生命保険と不思議な縁があった坂口陽史にとって米国生命保険史に残るプルデンシャルの足跡とこの依頼は運命的なものであった。坂口陽史はこの依頼を引き受け、ソニー・プルデンシャル生命の副社長として就任する。
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