地獄へ道づれの原案になった「グッド・タイムス」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:42 UTC 版)
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ベーシストのバーナードによるとグッドタイムスのレコーディング中(1979)のスタジオにクィーンのベーシスト、ジョン・ディーコンが訪れれて楽しそうにしていたという。その後ジョンはこの曲 Another One Bites the Dust (1980)を作ったがフレディ・マーキュリー以外はこの曲に否定的で特にドラムスのテイラーは、あまりにもディスコ色が強すぎると懸念を示して嫌々叩いていた。ところがバンドがリリースを渋りライブでの演奏だけとしていた頃、クィーンのコンサートを見に来ていたマイケル・ジャクソンが、バックステージでフレディ・マーキュリーに「あの曲はシングル・リリースすべき」と強く進言しリリースされた。結局シングルは世界的に大ヒット。特にアメリカにおいては、ビルボード誌が発表したBillboard Hot 100で1位を獲得、シングルセールスは200万枚に及びクィーンにおける最大のヒット曲となった。
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