土浦藩の出兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 04:33 UTC 版)
土浦藩では、20日夕4時に手代からの要請を受け、とりあえず御徒目付の中川六郎兵衛他総勢17人を急派した。一の手は、夜9時に土浦を出発、深夜2時に牛久宿へ到着し、中川六郎兵衛が手代二人に面談した。打合せの結果、百姓共が牛久宿へ来る恐れが高く、二の手の増派が必要と判断し土浦へ連絡。21日夕4時に物頭の西川平次郎外総勢46人が土浦を出立、夜八時に牛久へ到着した。10月23日朝6時、三の手として御目付室兵右衛門以下34人が土浦を出立した。これに伴って、引続き四の手の体制整備を命じた。 10月23日、郷目付に申付、女化原を探索した所、百姓共は同日昼過に退散した事を確認した。土浦領烏山村名主の父親が扱いに立入、内々解決したものであった。これに伴って、四の手の派兵は中止とし、土浦で待機することになった。
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